10/31/2015

今のイギリス

友人の家に行く途中、色づいた木々のあまりの美しさに、「すごい!」を連発しながら運転しました。




本当は時速20キロくらいに落としてゆっくり運転したいところ。いくら車の数が少ないとはいえ、危ないことはいたしません。

ということで、駐車できるスペースのあるところで車を停めて、少しの間森を散歩することにしました。カメラを持っていたのが幸いでした。数時間前に少し降った雨で光っている落ち葉の上を歩く感触は気持ちの良いものです。




木やその葉から発せられる酸素を心で一杯に吸い込んで。




遠くの人が見えますか?背の高い木ばかりで空が狭く感じられます。
 




こんなに沢山ある木は良く見ると、もちろんですが葉っぱの形も色も全部違います。「葉っぱも皆違うし、人間もそう。皆違う....」なんて独り言を言いながら、一本一本ゆっくり観賞していきます。同時に写真もパチパチ。

 
葉は木についている葉だけではありません。地面に落ちた枯葉、高い枝から低い枝に落ちてちゃっかり他の葉の上で二度目の人生を楽しんでいる葉っぱ。




 
 
 



牧草地の向こうにある森はまるで‘色の交響楽’でした。
 
 
 
 
 
 
仕事もめっきり減ったこの時期にいつも思うことは、「日本ではイギリスへは秋冬には行かない」という定説があること。とてもとても残念です。この時期だからこそ見ることのできる素晴らしい景色がここに沢山あることを、是非思い出してください。
 
 


10/29/2015

‘ 庭猫 ’

何回かお仕事でご一緒したカメラマンの安彦幸枝さんの写真集 ‘庭猫’ が出版されました。




アフとサブと名付けられたその猫たちは、いつも一緒。まるで仲の良い夫婦のように寄り添っています。

 “ 二匹はいつも一緒に過ごし、空腹になると飛び上がって網戸に張り付き、家のなかを覗きこん
  では食事の催促をする ”


安彦さんのご実家では12歳と13歳の親子の猫を飼っていらっしゃって、その息子の背中には猫が張り付いたような模様があるのです。

写真一枚一枚が私に何かを語りかけ、涙したり、大声で笑ったり...

表紙に書かれているように 「ちょっと奇妙でちょっとせつない 一所懸命な猫の話」は動物の心が表れた素晴らしい写真集です。

10/26/2015

女王様の好きなもの

どこでも王室や皇室に関してはグレイの部分、つまり「よくわからない部分」というのがあります。報道されない部分のことです。報道する側が勝手に書きたてることはあっても王室や、公的機関から発表することがない事柄です。それは個人的なプライバシーを守るという意味ではとても大切なことだと思います。でも、「そんなことが何故発表されないの?」ということもあります。

例えば王室御用達のお店で「女王様はこのお店のどんな商品を注文するのでしょうか?」と訊ねると、どこのお店でも「それはお答えできません。」という返事が返ってきます。それは一般人に対して女王の好みの影響が大きすぎるからかもしれません。納得。女王と同じものを食べて、同じものを着れば最高のものを身につけたように感じ、その結果同じものが沢山売れるでしょう。女王だって別に勧めているわけでもないのに責任を感じちゃうかも?

また例えば貴方が女王様を夕食にご招待したとします。当然、女王様のお好きなものをご馳走したいでしょうから、「何がお好きでしょう?」と訊ねたとします。でもそれでさえ「お答えできません。」と言われるでしょう。その理由は、‘好物を言ったら、どこに行ってもそればかり出されるから’だそうです。

ところが最近タイムズ紙で珍しい記事を見つけました。‘マラソン女王の秘められたパッション’という見出しです。




それによりますと、女王はダービー、ロイヤルアスコット、グランド.ナショナルなど馬に関する競技には全て興味をお持ちですが、実はマラソンも大好きでテレビでご覧になっているとか。しかも興味の度合いが半端ではなく、お客様がいらっしゃる時でさえ、ご覧になることもあるそうです。これは最近発表された口頭による英連邦における王室の歴史で明らかになったもの。

それによれば、女王がとてもインフォーマルな方であるということも書かれていました。以前は、私は女王様は朝ごはんの時でもティアラを被って召し上がるのかしら?と考えていたこともあります。

タイムズ紙にはこう書かれています。

    女王のプライベート船ブリタニア号での(現在はお役目を解かれてエジンバラの観光名所
    になっている)朝食はセルフサービスだけでなく、朝からアルコールを飲みたい人も自分
    で勝手に飲むことができる’

    英連邦競技大会がオーストラリアで行われた際に、大会の委員長、副委員長がブリタニア
    号の朝食に行った時のこと。朝食の部屋に通された後、女王が「朝食はあそこに用
    意してあります。大きな朝食のバーもありますから強めのドリンクがご希望であればご自由
    にどうぞ。私はマラソンを見てきます。私はマラソンが大好きなんですよ。船の中ではご自由
    にお過ごしください。どうぞごゆっくり。」

    そして女王はテレビのスゥィッチを入れられた。

タイムズ紙によれば女王のお好きなものはマラソン以外に
    鳩のレース......サンドリンガム宮殿で鳩を飼っていらっしゃる。
    食器洗い.......ピクニックの後の食器洗いがお好き。
                 サッチャー元首相がこれを見て、ゴム手袋を使用せずに食器を洗う女
                 王のお姿にショックを受け、後日ゴム手袋を女王に送った。
    タッパウェア......女王の朝食のシリアルはタッパウェアーに入っている。
    テレビ番組.......「イーストエンダー」

お好きなテレビに関しては驚きました。セックスあり、ジェラシーあり、暴力あり、殺人、結婚、離婚、不倫....などたっぷりの下町の品のないドラマ「イーストエンダー」がお好きとは!

でもシャーロックホームズの殺人ものやダウントンアビー、刑事フォイルなど私が好きな番組は、
私の周りには無関係の世界。それが返っておもしろいのです。女王様にとっては「イーストエンダー」の世界は周囲では正に起こりえないことばっかりです。そういうものに人間って興味をもつのかも?関係ないから楽しめる.....ということでしょう。もし起こりえることだったら心配で、怖くて見ていられません。

女王も私も同じ人間です。このタイムズ紙の記事を読んだら、なんとなく女王がもっと身近な存在になった気がします。もしかしたら女王も私みたいにティアラではなく、パジャマを着てテレビを見るのかも?

10/23/2015

貴族の館 ポーウィス城。

先日、ナショナルトラスト所有の貴族の館を紹介するテレビ番組を観ました。通常、こういう番組は建物、内部の調度品、庭などに焦点を当てたものが多いのですが、先日のものは住んだ人、建築家、ガーデンをデザインした人などその館に関わった人を詳しく伝えていました。それによって、館がよりいきいきと表されていて、とてもおもしろかったのです。

チャッツワース.ハウスのデヴォンシャー公爵に嫁いだダイアナ元皇太子妃の先祖ジョージアナ(
紅茶で有名になったグレイ伯爵の愛人で当時最大のスキャンダルを巻き起こし、Duchess-公爵夫人ーという映画にもなった)はあまりに有名ですが、その他の貴族の中にも興味深い人物が大勢います。館を訪れる時は、そこに住んだ人、縁の人のことを知った上で見学すればもっと興味が湧いてくるはずです。

そこで、先日ウェールズで訪れたポーウィス城に住んだ人に関して調べてみたところ、色々な事実が沢山わかってきました。






現在のお城で一番古い部分は1200年頃に建てられた北東の塔のあたりです。その頃の持ち主は、現在のモンゴメリーシャーやデンビシャーを含むポーウィス王国のプリンスでした。その後、彼の子孫が1代目ペンブルック伯爵の二男の息子エドワード.ハーバートに荘園と共にお城を売り渡しました。それ以来、1952年にナショナルトラストに贈与するまでの400年以上の間、ハーバート一族がポーウィス城を所有することになります。

今日は19世紀後半からのお城に関わったひとたちのことを簡単にお話ししましょう。



お城への入り口。
 

ポーウィス城の庭の始まりは1680年代です。一代目ポーウィス侯爵(侯爵のタイトルは1748年に後継ぎが途絶えたことで消滅。その後1代目ポーウィス侯爵の二男の一人娘が15歳の時に嫁いだエドワード.ハーバートにポーウィス伯爵のタイトルが授けられる)ウィリアム.ハーバートは当時有名な造園師であったウィリアム.ウィンドを雇い、お城の南に面した芝生のスロープやテラスを造ります。

(イギリスの王家や貴族の家系はまるで旧約聖書を読んでいるようにややこしく、頭が混乱してしまいますが、ボケ防止にもなると思いますので、しばらくお付き合いください。ただ親族同士の結婚が多く、貴族同士がどこかでつながっていることが多いので、そのつながりを見つけた時に全てがはっきり見えて来ることが多いのです。)
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
時を経て19世紀後半、4代目ポーウィス伯爵であったジョージ.ハーバートの妻ヴァイオレット(ダースィー.ドゥ.ネイス男爵の後継者)は「イングランドとウェールズの中で最も美しいガーデン」と言われる庭を作りました。

16、17世紀に人気を博したイタリアン.ガーデンのフォーマルなデザインも18世紀に入るころから自然を重要視する風景ガーデンに変わります。ヴァイオレットは、イタリアガーデンと風景ガーデンをうまい具合に共存させて、色々なスタイルが楽しめるガーデンに仕上げました。

さて、この4代目伯爵夫妻には男子ふたりと女子ひとりの子どもがいましたが、長男でポーウィス伯爵のタイトルの後継者でもあったクライヴ子爵は第一次世界大戦で亡くなります。その後1929年に伯爵夫人ヴァイオレットが自動車事故で亡くなり、残った次男マーヴィン.ハーバートも(兄の死後、クライヴ子爵のタイトルを受け継ぐ)第二次世界大戦で戦死します。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2人の後継ぎと妻に先立たれた4代目伯爵は1952年に90歳で亡くなりますが、遺言でポーウィス城はナショナルトラストに贈与され、現在でもナショナルトラストが管理しています。 
 
ポーウィス伯爵の称号は彼のいとこであるE.R.H.ハーバートに受け継がれます。
 
ここで、ポーウィス城から少し離れ、4代目伯爵の二男の話に移ります。先ほどお話ししましたように、マーヴィン.ハーバートは戦時中は空軍に属していて、1943年に38歳の若さで戦死します。彼の一人娘のダヴィーナは、祖母から父に渡った男爵の称号を4歳で受け継ぎ18代目ダースィー.ドゥ.ネイス男爵となります。
(実際は女性ですのでBaronではなく、Baroness Darcy de Knaythというタイトル。)
 
ダヴィーナは1960年、出版業者であったルーパート.イングラムズと結婚、3人の子に恵まれましたが、4年後に夫妻でダンスの帰り道に車が木に激突し、夫は即死、ダヴィーナも首から下が動かなくなるという重傷を負います。その彼女が治療を受けていた病院が、パラリンピックの基を築いたストーク.マンデヴィル病院でした。次第に上半身の動きが少しずつ回復しますが、生涯車いすの生活が続きます。
 
強い意志を持ったダヴィーナは卓球と弓道に打ち込み、ついにはパラリンピックに出場。1968年のイスラエル.パラリンピックでは水泳で金メダルを、4年後の西ドイツ.パラリンピックでは卓球で銅メダルを獲得します。
 
それ以後も2008年に亡くなるまで、ダヴィーナは貴族院議員として身体障害者の権利などを主張し、大英帝国勲章(DBE      Dame Commander of the Most Excellent Order of the British Empire)を授かります。
 
 
 
 
 
人は貴族でなくてもそれぞれの人生のストーリがあります。でもそれがずっと記録に残るのはごく少数のひとたちです。館だけではなく、普通の家にもそこに住んだ人の話があってこそ建物が生きてきます。
 
4,5年前に車椅子のお客様とここを訪れました。その庭を車椅子を押しながら歩いた時、もしダヴィーナのことを知っていたら.....と思いながらポーウィス城縁の人たちのリサーチはこの辺で一旦休憩です。
 
 
 
 
 
 


 
 
 

10/21/2015

日本人のユーモア

ここ数週間は毎日、日本を旅している友人夫婦からのメールを楽しみにしています。

京都の街並み、布団の敷かれた旅館、ビール好きの友人が誇らしげに写した珍しい地ビール.....これらは全て日本人として自慢したいものばかりです。

さて、今朝届いた友人からのメールには思わず大笑いをしてしまいました。

ロンドンの地下鉄で、駅に着くたびにアナウンスされる ' Mind the Gap! (隙間に気をつけて) ' と同じ内容です。



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10153277741772734&set=a.10151397939792734.1073741826.595987733&type=3


Have a nice trip. 「trip」は「旅」という以外に「つまずく」という意味があります。

友人のメールには「意図しない日本のユーモア」と題して「今日、東京から日光へ行く列車の中で見つけたもの」と書かれていました。笑いが止まらない友人の顔が目に浮かびます。

それにしても、これって本当に意図しなかったのかしら?もしわざとだったら日本人のユーモアのセンスもなかなかのものではありませんか!

10/19/2015

ウェールズから。

今年2回目の、そして多分最後のウェールズでの仕事。今回は写真記者のWさんの取材のお供でした。まず仕事始めはスランゴスレン。ここには駅があるのですが、保存鉄道なので国内の普通路線とはつながっていません。そこで、まずロンドンから列車でレクサム(Wrexham)まで行き、そこから20分ほどの道をタクシーでスランゴスレンに向かいました。

人口5000人にも満たない小さな町は、この時期、特に朝、夕方はメインストリートでさえ歩く人をあまり見かけません。でも有名な音楽祭やアートフェスティヴァル他色々なお祭りもありますし、ここを拠点として運河を下ったり、ウォーキングをしたり、もちろん見どころも多いので観光でも大切な町です。






 
町の中心を流れるディー川のこの場所に、ある司教さんが石橋を築いたのは1345年のことですが、今の橋は1656年に改築されたものです。350年もの間、昔は馬車が、そして今は車が行きかうこの石橋は、近くにあるポントカサステ水路橋と同じくListed Building(保存されるべく公的に守られている物件)の中でも一番重要性の高いカテゴリーに(グレード1)登録されています。






スランゴスレンは1840年にはすでに観光地として人気がありましたが、ここに来るには馬車しかありませんでした。ロンドンからですと、とんでもない時間を要します。

そこで、ヴィクトリア時代に急激に発達した炭鉱、観光産業の波の乗って1860年代に石炭、観光客を運ぶ線として鉄道が開通し、下の写真の右に見える駅がオープンしました。ところがその100年後にはイギリス各地で行われた鉄道の縮小に伴い、スランゴスレンの駅も線路も撤去されてしまいました。

その後1972年にディーサイド保存鉄道協会が発足。完全に観光用の鉄道に変わり、現在全長15キロ強の線を保存列車が走っているというわけです。

www.llangollen-railway.co.uk



 
 
 
保存鉄道はイギリス中に沢山ありますが、それらの駅には当時の面影を残すオブジェ....まるでアガサ.クリスティのテレビドラマの中にいる気分です。
 
 







有名な水道橋ポントカサステ橋を渡るナローボートの運河遊覧は駅の近くにある船着き場から出発して、フロンカサステまで行くルートと、逆にフロンカサステからスランゴスレンまで戻るルートの二通りあります。どちらも2時間の旅です。水道橋をデザインした技師の名にちなんで‘トマス.テルフォード’と名付けられたナローボートに乗って、ディー渓谷の静かで美しい景色の中を時速5キロくらいの速度で進みます。

http://www.horsedrawnboats.co.uk/

1795年に工事が始まったスランゴレン運河は最初は運搬用として創られ、その後閉鎖、そして今は保存運河としてレジャー用に使われているという点ではスランゴスレン鉄道と全く同じ運命をたどってきました。

鉄道も運河もボランティアの協力がなければ運営は不可能です。ここでも「忙しい生活の中でも時間を作って趣味の世界を大切にする」というイギリス人気質が表れていますね。

www.canalrivertrust.org.uk

このボートの遊覧が特別なのは、1805年に造られたイギリスで一番長く(全長307m)、そして一番高い水路橋(38m)ポントカサステ水路橋を渡るから。(7月16日のブログをご覧ください)




乗っている人にとっては、森が下にあり、芝生のグラウンドでは子供たちがサッカーを楽しんでいるというなんとも不思議な光景です。



イギリス人の多くはナローボートでホリデーを楽しみます。ボートは借りることもでき、その場合は自分で操縦します。それはそんなに難しいことではないのですが、直線を行くだけではあまりにも平和で眠くなっちゃうかも?と思います。でも、右折したり左折したり、水門の開け閉めをしたり、Uターンしたりしていると操縦が楽しくなり、特に居眠り運転が防げます! 狭い運河では、対向してくるボートとぶつからないようにありきたりの力を振り絞ってロープで船を壁側に寄せることもあります。

でもまあ、ぶつかったとしてもガツンガツンして笑いながら「アレ、アレ....」と言うだけでしょうが。




時間に追われたホリデーはホリデーではないと考えるのが彼らです。ストレスゼロの時間。いいですねー。

この日、スランゴスレンを後にした私たちは一挙に南下して次は「イギリスで一番美しい庭園のあるお城」という評判のポーウィス城に向かいました。


10/15/2015

秋のガーデンの素晴らしさ。

私がご案内させていただくガーデンツアーは6月に集中しています。ガイドとしては、一年のうちで一番忙しい時。まるで冬眠を終えた花たちが、はちきれんばかりにエネルギーを周囲にまき散らしながら私たちを歓迎してくれるようです。気分もハイになります。

でも実は私は今の時期のガーデンが大好きです。イギリスで一般公開されているガーデンは10月末になると春まで閉園するところが多いのですが、それまでの一か月くらいの間は人も少なく、ゆっくり見学できます。

例えばここ、ロンドンの南東のイースト.エセックス州にあるグレート.ディクスターです。ライの町からも車で20分くらいで行けます。





ここは天才造園家であったクリストファー.ロイドが築いた庭です。彼の父が購入した15世紀の建物はクリストファーが住んだ家ですが、これもガーデンとぴったりマッチしていて素敵です。クリストファーはここでガーデニングに興味を持っていた母親の影響を受けて育ちました。

入り口の部分は歪んでいて今にも倒れそう。でも10年や20年前に建てられた家よりもずっと頑丈です。






いつも鉢に植えられた季節の植物がここで訪問客を歓迎してくれます。(家の中も時間制になっていますが見学可能)

今回のツアーでは初めて日本のガイドさんが案内してくださいました。今、ここで働くハタさんという女性の素晴らしいガイディングに皆さん熱心に耳を傾けていらっしゃいました。

いつもは通訳に追われる私もこの時は、ハタさんに全ておまかせしてゆっくり見学させていただきました。






クリストファー.ロイドはそのカラースキームが有名で、いつも下の土が見えないくらいに花で埋めるというのが彼のやり方だそうです。そういえば、ここのガーデンは実によく手入れされていると思いました。お花が終わればすぐにまた新しいものに変える.....ここで働くガーデナーたちは休む間もないのでは? でも、私はこういう季節を感じさせる個性的なガーデンが好きです。今回も秋のガーデンの素晴らしさを堪能しました。










このダリア、実は人の顔より大きなダリアです。こんなのは初めて。
 
 




今年6月に訪れたべス.チャトーのガーデンでヘッド.ガーデナーがおしえてくれました。ベス.チャトーとクリストファー.ロイドはとても仲が良かったそうです。そのきっかけは、クリストファー.ロイドが書いた本の中にベス.チャトーが大切に思っている植物が書かれていなかったことに抗議する彼女の手紙だったそうです。

個性的な庭を創ることを目指す二人から生まれた個性的なガーデン。その感性は世界中の人々に影響を与えました。

特に季節の色を大切にするクリストファー.ロイド。その色彩は女性園芸家ガートルード.ジキルの色彩を思わせます。

そんなクリストファー.ロイドは今、その一生を捧げた庭の一角に埋葬されています。そこには彼の生涯を称えるように一本の木が植えられています。






季節ごとに変わる植物をそれぞれに一番適した状態で咲かせる、そしてそこは妥協を許さない個性が溢れていました。ベス.チャトー、クリストファー.ロイド、ともにイングリッシュガーデンを代表するに相応しい究極の庭園を作り上げてくれました。そのお礼を込めてお墓にそっと手を合わせてきました。

10/14/2015

大変な世の中になりました。

この新聞の写真を見た時は2度ギョッとしました。まず、車の運転席からリードを出して歩かされている犬!そしてその次はなんとこの犬、我が家のジャスパーに後ろ姿がそっくり。




いくら何でも車で犬を散歩させるなんて。自転車ならまだ許せますが。(本当は自転車だって、歩いている人には迷惑な話。自転車と犬の間に挟まってしまった人を見かけてしまってから、そう思うようになりました。)

記事を読んでいるうちに、なーんだ、これは映画のスタントだったことがわかりました。でも、もっと読んでいくと、「2011年カウンティ.ダラムに住むポール.レイルトンは彼のラーチャー犬(ジャスパーもラーチャー犬)を車の窓から散歩させていたところを自転車に乗った人にレポートされ、免停をくらった。」と書かれています。

車で犬を散歩させる世の中になってはいけません。私は犬が人間を散歩に連れていってくれるのだと思っています。だって、天気や気分に関係なく毎日散歩に出るのは犬のおかげですから。

ではこんなのはどうでしょう?

https://www.facebook.com/jokes014/videos/430120790521824/?pnref=story






10/13/2015

刑事フォイル

最近ツアーに参加される多くの方々がイギリスのドラマに興味を持っていらっしゃることは嬉しいことです。古くは‘刑事モース’があります。オックスフォード市内や近辺で起こる殺人をオペラと年代物のジャギュア車、アルコール好きの刑事モースが解決する内容です。

最近では‘ダウントンアビー’が絶大な人気を博しました。今、イギリスでは最終回のエピソードを放映中です。そしてついこの間日本で始まった‘刑事フォイル’(1月18日のブログ「フォイルズ.ウォー」をご覧ください)、そして数日前に始まった‘グランチェスター’(2014年11月25日のブログ「‘ダウントン.アビー’と‘グランチェスター’)というドラマも人気が出ることでしょう。

http://www9.nhk.or.jp/kaigai/foyle/
http://mystery.co.jp/osusume/201510.html

イギリスのドラマが人気な理由はもちろん内容もありますが、ドラマに映し出される建物、風景が素晴らしいことにもあると思います。イギリスは風景、建物の保存、保護に大変力を入れています。時代物のドラマや映画も特別なセットを作る必要がなく、既存する建物をそのまま使えばいいのですから。

今回のツアーで訪れたヘイスティングズの町はニュータウンとオールドタウンがあります。特にオールドタウンは昔ながらの建物が立ち並び、散歩するのが楽しい地域です。

今回ヘイスティングズを訪れた際にはオールドタウンにある‘刑事フォイル’縁の地域にも行きました。

海岸からフォイルの家に続くクロフト通りです。
 
 
 
 
 
 

 
フォイルの家が左手に見えてきました。

 
 
 
 
 
ここがフォイルの家。秘書兼運転手の女性サムがフォイルを迎えに来る時に車を停めた場所はこの辺りです。‘駐車禁止’を示す二本線‘ダブル.イエローライン’の黄色の線が見えます。でもこの制度は1960年代に始まったものですから、戦時中にはなかったもの。ドラマの中ではもちろんこの線が画面に出ないように工夫しています。

今にも家の黒いドアが開いてフォイルがサムの車に乗り込む場面が目に浮かびます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
家のすぐ近くのこの路地でも撮影が行われたと、フォイルファンのお客様におしえていただきました。
 
 
 
 

 
サムの車に乗ったフォイルが頻繁に通る‘スワンテラス’という道です。実はこの道沿いを進んですぐ右側にメモリアルガーデンがあります。昔ここにあった居酒屋は戦時中にドイツ軍による爆撃で壊滅、16名の人が亡くなりました。今はそこは亡くなった人たちのメモリアルガーデンになっているのですが、ドラマが設定された時はまだこのガーデンは作られていませんでした。撮影時にはメモリアルガーデンの標識を画面に入れないように気を遣ったとか。
 
 
 
 
 
左側の石塀の中は聖クレメントという教会が建っています。ここはウィリアム.モリスの友人で妻ジェインの恋人だった画家ダンテ.ガブリエル.ロゼッティが画家であり恋人であったエリザベス.スィダルと波乱に満ちた10年近くの歳月の後、やっと結婚式を挙げた教会です。麻薬に冒され、健康を害していたエリザベス.スィダルが医者に勧められてヘイスティングズに来ていた時のこと。彼女の死が近づいたことを悟ったロゼッティがやっと結婚を決意し、急いで式を挙げた教会です。
 
 
 
 

 
ヘイスティングズの近くにあるセント.レナードの町にあるロイヤル.ヴィクトリアホテルにも立ち寄ったのですが、正面と裏の玄関のどちらが撮影に使われたか、ツアーの中の誰も確証はありません。ヴィクトリア女王も泊まったというこのホテルは正面が立派ですが、以前は裏門が正面だったと運転手さんが話してくれました。裏のほうがフォイルズのドラマには合っている気がしますが.....
 
 
 
正面
 



 



‘刑事フォイル’が日本で人気が出てきているとおしえてくださったのはお客様です。そういうお客様からの情報が私たちガイドにとって大変貴重です。

私が日本に行っている間に録音してもらっていたテレビドラマが沢山ありました。これもいつかは日本の方々の興味につながると思えば、益々観る時に力が入ります。